創設期
1.創設期~大日本ホテル株式会社時代(明治39年~大正2年)
奈良ホテル建設の契機は、日露戦争の勝利に始まり、ホテルの歴史は営業主体から見ると五つの時代に分けられます。
日露戦争に勝った日本には来遊する外国人が急増。そのため政府は全国の主なホテル・旅館経営者を集め、必要な保護特典を与える旨の発表をしました。
これを受けて、関東では大倉喜八郎(帝国ホテル創業者)、関西では西村仁兵衛(都ホテル創業者)が活動を起こしました。
明治39年、西村は眺望に恵まれた高畑町飛鳥山を坪1円で買収し、翌年の明治40年に都ホテルなど4ホテルを統合した大日本ホテル株式会社を設立しました。
奈良ホテルの建設は鉄道院がおこない、鹿鳴館の建設費用の約2倍である35万円がかけられました。
「建物新築に際しては、古建築との調和を保持すべし」との県議会決議に従い和洋折衷様式を採用、周囲の景観との調和した見事な建物ができあがりました。
明治42年10月17日、奈良ホテルは開業しました。
開業後は1日に僅か4~5名のお客様に対し50~60名の従業員を抱え、営業は順調ではありませんでした。西村は鉄道院に窮状を訴えましたが補助金を得られず、大日本ホテル株式会社は開業から4年にも満たずに幕を閉じ、大正2年5月には鉄道院が経営をすることになりました。
- 明治39年3月
- 奈良市、関西鉄道株式会社、西村仁兵衛の三者でホテル建設についての覚書を交わす。
- 明治39年7月
- 西村仁兵衛が、奈良市高畑町にホテル用地を購入し、「奈良ホテル」の商号登記をする。
- 明治40年6月
- 西村仁兵衛の経営する大日本ホテル株式会社が設立される。
- 明治40年9月
- 関西鉄道株式会社が、大日本ホテル株式会社より奈良ホテル用地を購入する。
- 明治40年10月
- 鉄道国有化法が成立し、関西鉄道株式会社は鉄道院に買収され、奈良ホテル敷地は鉄道院のものとなる。
- 明治42年10月
- 本館竣工、大日本ホテル株式会社の経営(鉄道院は家主)で奈良ホテル営業開始。
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建築工事中の全景
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開業当時の玄関ロビー風景
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今も残る当時のレジスターブック